みなさまへお願い
2012年 04月 13日
読者のみなさん、こんにちわ。
先日から私の過去を赤裸々に綴っております。
ここで読まれる方にお願いがあります。
読まれる際、ジャッジをせず、ただ淡々と読んで頂ければと思います。
「 あ~こんな人生を歩んだ人もいるんだね。 フ~ン!! 」 位に・・・
私は、自分の過去で、皆さんを元気づけようと言った
おこがましい事をするつもりはありませんし、
そんな力ももっていません。 そして、わたしへの同情も必要ありません。
人は、みんな違った沢山の経験をして、その人のペースで
その人らしく成長をして行き、この世を全うし、次の修行に旅立つのです。
私は、こうして綴る事で、忘れかけていた大事なものがあるのではないか。
気付きが他にないか。を確認する為私の日記として綴っているのです。
書く事が出来るという事は、頭の中で整理出来ていないと書けないですよね。
母の映画上映を通して、整理できていたと思っていた引き出しをもう一度開けて
改めて、整理しなおそうと思っています。
その事を理解の上、下記をお読みくださいね。
< 過去の償い・祖母が・・・>
あの恐ろしい経験以来、母との距離が遠ざかった様に思えます。
推測ですが、きっと、祖母がきつく母に言ったのでしょう。
祖父母との暮らしも慣れてきた矢先、
今度は祖母が、激しい腹痛を起こし病院へ
すると、胆石だという事が判明し、即入院。
付き添いがいるという事で、私が祖母の付き添いに。
それから、当時8歳の私は
病院と家と学校との往復生活が始まりました。
病院から学校に通い、また病院へ戻り、そこで祖母に祖父の食事のメニューを
考えてもらい、家に帰って、米を研いで、ぬかみそを混ぜて、
それから買い物に行き
私に出来る簡単な物を作り、食べさせ、
病院の消灯9時を目安に、病室に入る。
そして、夜中は、祖母が私を起こせば、
肩を貸してトイレに付き添って行って ベッドに入る。
そして、朝はそこから学校へ登校。
この繰り返しの生活。
その間、私がしっかりしなきゃ!!の気持ちから、
苦痛と感じる事は全くありませんでした。
そして、寂しい事に
母の存在は、私の目には映っていませんでした。
というより、母とはお店の関係ですれ違いの生活でしたから。
1か月以上、その生活が続き、
母ともすれ違い。
こんなんじゃ、親子の情も自然と離れて行きますよね。
母は、相変わらず、お酒で気を紛らわしていたようでしたけど。
今思えば、私母の手料理を食べた記憶ないな~!!
住居を転々としていた時は、
インスタントラーメンを鍋ごと食べた記憶はあるね~。
何が、得意だったんだろう。
私の記憶にないだけで、手料理食べさせてもらってるのかもね(^-^)
でも、そんな大事な事が記憶から抹消されているなんて、悲しいよね。
私の人生は衝撃が多すぎて、きっと、大事な記憶が抜けてるのかな!?
毎日が無我夢中の私の生活は、まだまだ続きます。
先日から私の過去を赤裸々に綴っております。
ここで読まれる方にお願いがあります。
読まれる際、ジャッジをせず、ただ淡々と読んで頂ければと思います。
「 あ~こんな人生を歩んだ人もいるんだね。 フ~ン!! 」 位に・・・
私は、自分の過去で、皆さんを元気づけようと言った
おこがましい事をするつもりはありませんし、
そんな力ももっていません。 そして、わたしへの同情も必要ありません。
人は、みんな違った沢山の経験をして、その人のペースで
その人らしく成長をして行き、この世を全うし、次の修行に旅立つのです。
私は、こうして綴る事で、忘れかけていた大事なものがあるのではないか。
気付きが他にないか。を確認する為私の日記として綴っているのです。
書く事が出来るという事は、頭の中で整理出来ていないと書けないですよね。
母の映画上映を通して、整理できていたと思っていた引き出しをもう一度開けて
改めて、整理しなおそうと思っています。
その事を理解の上、下記をお読みくださいね。
< 過去の償い・祖母が・・・>
あの恐ろしい経験以来、母との距離が遠ざかった様に思えます。
推測ですが、きっと、祖母がきつく母に言ったのでしょう。
祖父母との暮らしも慣れてきた矢先、
今度は祖母が、激しい腹痛を起こし病院へ
すると、胆石だという事が判明し、即入院。
付き添いがいるという事で、私が祖母の付き添いに。
それから、当時8歳の私は
病院と家と学校との往復生活が始まりました。
病院から学校に通い、また病院へ戻り、そこで祖母に祖父の食事のメニューを
考えてもらい、家に帰って、米を研いで、ぬかみそを混ぜて、
それから買い物に行き
私に出来る簡単な物を作り、食べさせ、
病院の消灯9時を目安に、病室に入る。
そして、夜中は、祖母が私を起こせば、
肩を貸してトイレに付き添って行って ベッドに入る。
そして、朝はそこから学校へ登校。
この繰り返しの生活。
その間、私がしっかりしなきゃ!!の気持ちから、
苦痛と感じる事は全くありませんでした。
そして、寂しい事に
母の存在は、私の目には映っていませんでした。
というより、母とはお店の関係ですれ違いの生活でしたから。
1か月以上、その生活が続き、
母ともすれ違い。
こんなんじゃ、親子の情も自然と離れて行きますよね。
母は、相変わらず、お酒で気を紛らわしていたようでしたけど。
今思えば、私母の手料理を食べた記憶ないな~!!
住居を転々としていた時は、
インスタントラーメンを鍋ごと食べた記憶はあるね~。
何が、得意だったんだろう。
私の記憶にないだけで、手料理食べさせてもらってるのかもね(^-^)
でも、そんな大事な事が記憶から抹消されているなんて、悲しいよね。
私の人生は衝撃が多すぎて、きっと、大事な記憶が抜けてるのかな!?
毎日が無我夢中の私の生活は、まだまだ続きます。
by euphoria_383
| 2012-04-13 10:05
| 子育て・親育