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ある時はカラーセラピスト、ある時は母、ある時は一人の人間として、日々の出来事や感じた事を、愛情たっぷりのメッセージと共に綴り、活動情報も送ります。


by euphoria_383
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過去への償い ・ 栄光からの転落 そして母への想い②

           昨日の続きといきましょうかね。

          父に連れ戻されたところまででしたね。

          私が、母方の祖母の家に夜中戻って来て、

          次の日の昼ご飯が、

          生まれて初めて見る“ カレーライス ” だったのです。

          「 わぁ~!! 」 と感激もつかの間

          父親が迎えに来て、何故か私はそのまま連れ戻されたのでした。

          父方の祖母の家での食生活で覚えているのが

           朝だけ 

          そのメニューも 毎日

          焼かない食パン1枚の上に、砂糖をかけただけ。

           そして、 なんとも子供には美味しくない

          ストローの射してある栄養ドリンク1本

          これを飲むのが苦くて、苦痛で仕方ありませんでした。

          ましてや、私は甘いものが苦手な上、

          砂糖もグラニュー糖ならまだしも

          普通の料理に使う砂糖だったものですから、

          つぶの大きさが嫌で嫌で

          でもそれを食べないと、祖母が激怒し下げられてしまう。

          後がないと思えば

          仕方なくそれを口に運ぶ状態でした。

          だから、私は食に対して今でも興味がないのかもしれません。

          想像つきますか?

          食べさせてもらっているだけ有り難いと思わないといけない状況だったのです。

          そんな食生活だったのもですから、虚弱体質で、

          骨に皮が引っ付いている姿

          でも、今思えば、いつも独り言で自分を励ましていましたから、

          心は荒んでいなかったように思います。

          さぁ、母はと言いますと

          これだけのトラブルを抱え、想像を絶する辛さだったことでしょう。

          母は孤独でした。

          兄弟姉妹もなく、自分の親には泣きつくことはせず

          ましてや、誰に相談することなく、辛さを隠し、

          親友にも心配をかけまいとしていたそうです。

          これだけを聞けば気丈に振る舞っているように聞こえますが、

          実は、母のストレス解消は、「 ビール 」だったのです。

          ビールに逃げたのです。

          そう、段々と依存症になって行き隠れては飲むの繰り返し。

          友人と遊びに行っても、ちょっと席を外れては買いに行って隠れて飲む。

          そして、ベロンベロンで、人の前に現れる。

          飲んだのを分からないようにしても、分かりますよね。

          親友もかなり助言はしたようですが、その時の母の心には

          響くものはなかったのでしょう。

          彼女の心の一瞬の安らぎが、お酒だったのですから。

          やはり、体に異常をきたし、黄疸が出始め、

          目が黄色くなって、肝硬変で何度か入院

          しかし、いつしか病院から抜け出し、ビールを買っては飲み、

          挙句の果ては、黙って勝手に退院していたのです。

          祖父母は、手の負えない始末。

          母のお酒への暴走は、既に止められない状態でした。

          私と母が祖母の家で暮らす様になって暫くして

          母がお店を出す事になりました。

          それが、スナックです。

          昼は喫茶店、夜はスナック

          1日中、お店で、私はと言うと、祖母が面倒を見てくれていました。

          学校に入学しても参観日や、学校関係は全て祖母の役目でした。

          母は、私が起きる頃には、まだ寝ていて、

          私が寝ている夜中3時頃に帰ってくる生活でしたので、

          母と口をきく事も出来ませんでした。

          母はというと相変わらず、お酒に入り浸る生活で、

          自分のお店で、隠れて飲んでいました。

          実は、母は私と暮らせていながら、また新たな悩みを抱えます。

          それは、私を祖母にとられた事でした。

          読んで下さってる方は、そりゃ、仕方無いでしょ!!

          自分がしたことなんだから!!  と思われるでしょう。

          でも、母の心には、一層の孤独感が募って行くばかりでした。

          私もいつしか、親身になって世話をしてくれる祖母に依存し始めていましたが、

          唯一、日曜日だけお店がお休みなので、母のお店に連れて行ってもらい

          グリーンの色のソーダ水を作ってもらって、飲むのが至福の時でした。

          母の居場所は唯一、お店だけだったのです。

     さてと、長くなりましたので、また、この続きは、明日にしましょう。

     お付き合い感謝します。
          

          

          

          

          

          

          

          

          
          

           
by euphoria_383 | 2012-04-05 15:58 | 子育て・親育